文章と表現ラボ

まぼろしを愛していました。

文章が書けない、いや書きたくな気持ちが続きました。
体が疲れていたのかもしれませんし、

または、昔からの悪いくせがで情報を集めすぎて何をしていいのか
混乱して手が止まってしまったのかもしれません。

まあ、どちらにせよ、書きたくない。

ですが、質問家のしんせいさんの2時間の文章講座に参加したら内容が、あ~、そうだ、昔やってたこと、闇雲に書くのではなく見出し書いたりしてつなげたり、もちろん新たなことも学んだ、知ってたことも含めしれた。

もう、簡単にかけばいいじゃん。

それと、どうしても伝えたいことが湧いてきた。
それは、人見知りの赤面の自分のこと、

まず、講座前に部屋の入り口で受講生の女性と話す、さらに前に席の人とも話す、講座中にお隣とシェアすることで話す。後ろの席の人ともおひさしぶりですと話す。

「おいおい」

人見知りはどうした、赤面はやめたのか?

翌朝になり考えていた。

さらに、朝9時からコピーライターのKさんとSkype1時間の約束があったので、それもこなした。
はじめましてのKさんとの1時間があっというまにすぎた。

Skypeで顔も見えないからかな~。

「いやいや」

すげ~喋っていたし、もっと、見知れ、人見知れって言われそうだ。

誰にかというと過去の自分に、赤面で人見知りを証明できなくなる。

あれはまぼろしだったのか?

いや過去には赤面でクラスでばかにされたし、人前でしゃべれないことがずっと続いて苦しんでいたからそうじゃない。
ずっとそのままじゃなくてもいい思いこみが変わったんだと思う。

過去のまぼろしを愛していた。

私が思う、まぼろしは過去に作られた思い込みのこともういらない思い込みを愛して大切に持っている。
もういらないからギュ~~と抱きしめていたものを手放す。

いらない思い込みを、ありがとうもういらないからと手放していこう。

って考えたんですよね。多分ね。

仮に今回の2日間の同じ出来事を、赤面、人見知りが講座にいたとして一緒に隣にいたら、やりにくくてしょうがないかもしれないです。

 

例えば……

 

講座に入っても挨拶しない、下向き、隣の人とシェアしない、赤面して黙る。
スカイプでは、話さない、本音も言わない当たり障りなく話す。

過去の思い込み絶頂の私はなるはずです。

これは、酷い!

ということは、周りは迷惑だし、少なからず悪影響が出てるってことですね。

もう愛さなくてもいい思い込み、ネタとしては愛してるよ。

久しぶりに書きたいこと書いてみました。

乱文ですけどね〜。