小学校の4年くらいから視力が低下しメガネとの付き合い方で困った思い込みの体験談です。
それもつい最近まで、30年以上の思い込み、ルールを作りすごしてきました。
自分のルールを作り苦しんだこの経験が思い込みで人生がどう変わってしまうのかの一つの参考になるかもしれませんので恥ずかしい体験ですが書き綴ってます。
小学生から気づかないうちに作ってしまった自分ルール、前提とか、思い込みとか色々な言い方もできますが、今回は自分ルールとしてます。
★30年以上もずっと大事にしていた自分ルールとは……
【メガネは人前ではかけない、だだし、身内の前や視力検査などは除く】
しょうもないルールですが、小学校3〜4年くらいから徐々にこのルールを守るようになりました。
このルールをもっていることは全く当時は気づきません。
★︎メガネが人前でかけられなくなった理由
小学校の3年頃にファミコンが発売されました。
それからファミコンでゲームをやるようになりそれが原因かはわかりませんが視力が低下しました。勉強や読書ではないはずです、だってしてませんからね。
それで眼医者でメガネを作ってもらいました、このメガネがレンズが分厚くて牛乳瓶の底という表現がピッタリで太い黒縁のフレーム、これをかけるの?
恥ずかしい気持ちフツフツと湧き上がった記憶が蘇ります。
一度学校のクラスでかけると、笑いがおこり……
「メガネ猿」「サラリーマンみたい」
という言葉が飛んできたのです。
もう今は誰が言ったのかもわかりません。
猿ってメガネかけるの?
小4でサラリーマンはおかしいよね?
今ならツッコミどころ満載の意味不明な冷やかし言葉を笑ってかわせますが当時は恥ずかしくて顔を真っ赤にしてなにも言えませんでした。
メガネをかけないで過ごしたい視力を良くしたい思いから視力回復センターというものにも親にいかせてもらいました。
猫背が悪いから姿勢の矯正や家にはくるくるまわる視力検査キットみたいなものもありました。
しかし、全く効果は出ず、ファミコンやテレビばかり見てましたので当たりまえなのかもしれませんが、回復する見込みはなくメガネとの長い付き合いが始まりました。
この頃から家にいるときだけかけるようになり、あとは大人になってもコンビニに行くときなどかけてみましたが、店員さんや人目が気になるのです。(誰もみていないし気にしてないのに……)
★視力が悪くて見えない地獄だった経験
中学校の野球部での夕方のノックとキャチャー(直感でとるしかありません)
ボールが大きいサッカーを選べばいいのに……。
それから授業では黒板が見えないので目を細めて何度も見てわからないところは適当に書いていました、なのに、いじめっ子にノートをかけと命令され適当に書いてました、いじめっ子は頭が良くないのか全く気付いてませんでした。板書が大変なので先生の話につていけない。
黒板が見えなくて勉強が遅れることよりも、野球部でボール見えなくて体にあたり危険なことよりも馬鹿にされて冷やかされる方が苦痛だからメガネをかけない選択をしていました。
普通に考えればなんて馬鹿な選択なんだろうと今は思います。見えない方が損失が大きいですよね。
メガネで見えるならば板書が楽になる、勉強のストレス減る、野球はボールが見えるので楽にキャッチできる、バッティングできる。キャチャーをやっても股間になんども当たり痛い思いもしなくてすむ。
綺麗な景色が見れたかもしれない、中学の女子のかわいい顔も見れる。
と今ならばアドバイスするかもしれません。
★40才過ぎまでメガネは恥ずかしいという思い込みの自分ルールを守る
小学校で自作自演の自分ルールは、メガネをかけると馬鹿にされる、冷やかされる、恥ずかしい、という思い込みで、40歳を過ぎても家の外ではメガネはかけないルールを守ってきました。
16歳からコンタクトレンズを使っているので、それ以降は身内だけがメガネをかけていることを知っているということです。
側から聞くと、どうでもいい秘めごとです。
ただ、ルールが自分を苦しめており外でメガネをかけることができないのです。
★追い込まれてメガネと向き合う出来事が起こる
ですが、体に不調をきたす、ルールを破らないと生活できないことが起こりました。
仕事が忙しくなり朝5時から22時までコンタクトをつけていました。
ストレスや怒りも感じる状況にもなりました。それが3日、4日、5日と続くと右目が真っ赤になりました。過去にもあったのですが、その時は、コンタクトレンズの片目を夕方から数時間外して目の痛みをごまかしながらやり過ごしてきました。
怒りは肝臓に熱が溜まってるからと冷やすことを様々試す、濃いコーヒー、氷当てる、怒りを解消するワーク、ノートに書き出す目の疲れの漢方薬のむなども試してきました。
ですが、もうこれらを実践しても効果が間に合わないくらい真っ赤で、コンタクトレンズを外しても物が分裂して見えたりストレスと痛みもなくならないのです。
仕事で車の運転もするのでこの見えない状況は最悪なら事故や死につながる。
★周囲の実際の反応や言葉
メガネをかけないという自分ルールのを破るしかない。コンタクトレンズはずしたらなにも見えないに等しいのです。
人前でかけたくないけれど、メガネを朝から仕事でかけることに決めました。
コンタクトレンズがないと視力は0、1以下なのでぼやけて何も見えない。
野球部の時のように努力と根性で乗り越えて見えなくてもやれる仕事ではない。
メガネをかけ電車に乗っている時の違和感、恥ずかしさ、何を言われるのだろうという不安はあの小学校の時の記憶が蘇るのでした。
あの時の記憶のせいでなっているのか?
ならば記憶を変えればいいのか?
気休めで最近教えてもらった、こんなワークもやってみました。
馬鹿にされた記憶をイメージで自分の100メートル以上後ろに持っていきました。
小さくて見えないくらいにです。
そして会社事務所へ、そこから違和感もあるままメガネ生活7日間が経過するのでした。
★メガネの私への反応は様々です。
このように……。
・メガネかけてたっけ?(多数)
・老眼なの?
・関心なし
・おっさんだから見えなくなったんだよ
・誰かと思った、としばらく気づかない
・目が悪かったの?
意外な反応は……
・かっこいいじゃないですか
・嫁は似合っている(身内なのでひいき目かもしれない)
現在はメガネ10日目……
だんだん慣れてきました。
そして、メガネをかけることで他にもどんな思い込み自分ルールに囚われていたかわかりました。
- ばかにされてはいけない
- 冷やかされてはいけない
- ばかにする人は敵、許せない。
- 笑われてはいけない
とかです。
何かのキャッチコピーを構造だけ変えて上記のことをこんな言葉に変えて見たら、妙に納得できたのです。
こちら……。
笑われているのではない、笑わせているんだ!
馬鹿にされているのではない、馬鹿をやって楽しませてるんだ!
自分は笑わせて、馬鹿されて喜ばせてると思うとなんだか気楽だし、まあいいかな!
とも少し思えてきたのです。
30年以上も大事にしてきた、人前ではメガネをかけないというルールはもういらなくなりました。正確には、かけてもいいしかけなくてもいい。権力がなくなっているとも言えます。
普段やらないことで違和感や不安や他人の反応が違うという経験をしましたが、大なり小なり
人生ではあることですよね。
人は変化を嫌うのもで、私もそうです。
いつもいる人が突然メガネをかけたら無意識に危険か安全かを判断するものだとすると、安全確認作業とも考えられます。
私がメガネではなく、頭にツノが生えて、牙が生えてきたら、危険人物なので警戒して、距離をとり避けて逃げますよね。
ツノ生えてるよ、ツノ生えてたっけ、とは冷静には聞かないはずです。
似たようなことで、身近な人が成功してお金を稼ぐなども変化してしまうことになるので身の危険を感じて批判や現状に引き戻すことを周囲の人は気付かないで無意識にやってしまうこともあるかもしれません。
身の危険や限界になってやっと変える気になった自分ルールですが、こうなる前に自分がどんなルールを採用して使っているのか、それは今も必要なのか?
そんなことを私のようにならないように定期的にチェックすることをお勧めします。
思い込みを手放すワークなどもありますが、効果があったものはまた紹介させてもらいます。
メガネの思い込み以外にも、
どんな思い込み、ルールが自分を支配しているのか、無意識に行動させているのか?
とっても興味が出ており毎日のように探して変えることにとても興味がもってます。
それでは、また……。