元々あるものは生かすもの
「ある、ある……」
パラリンピックの水泳選手を見ていたこと
パラリンピックの選手は障害により、
諸事情で足や手が不自由かまたはなかったりする。
おのおのどの体のパーツがないかは違う。
まあ、それは見ればわかります。
自分が驚いたのは、それでも水泳をしていること。
自分は五体満足でも息継ぎができず泳げない。
もっと驚いたのは、
自分の体のあるパーツだけを使いどうやったら早く泳げるかを
選手それぞれが研究していることです。
五体満足なのに息継ぎできなくて泳げなかった自分。
逆に、自分の体のどこをどう使えば泳げるのか、
トレーニングしたり試行錯誤しているパラリンピックの選手。
今あるもの、持っているものを生かさず
私なんて無価値で何もない!
何もできない
と
それは、ちょっと違うんじゃないかな、
と……
無価値感だから価値がないとダメだ!
そんな裏の目的がんばって学ぶ、
行動してきた自分としては、
あるものに目を向ければいいんだよ。
そんなメッセージをもらった気がします。
無価値感とパラリンピックと五体満足。
「価値がないって本当なの?」
7年まえにコーチングを受けた時のこと。
そういえば、コーチがもう、ある、あるって言っていたのを思いだしました。
もうあるのに、必要ないものまで、なんでそんなに学ぶんですか?
私はその時に理解できず、
無価値感から学んでいることも気づけませんでした。
もう、すでに、ある、それを生かせ!
って言われていたのかもしれませんね。
無価値観万歳!
ずっと自分の人生で、
これでいいですか?
あってますか?
トイレ行っていいですか?
と相手に答えを求め、
ゆだねてしまうのはなんでかなと
考えたてみた。
見つけた答えは、目を避けたいことだった、
どうやら、自分は無価値だと思っている。
無価値感で生きている。
だから、価値のない自分を
価値ある自分にするためにノウハウやビジネス講座などで
学ぶ。資格を取る。認められようとする。
これに気づいたことで、今までの人生が全てがつながってくる。
優柔不断で決めれない。
自信がない。
権威の先生に教わり、いいなりになる。
無価値感に気づいてしまったこと
「まさか自分が、無価値感が奥底にあったなんて!」
以前なら、悲観的になるのですが、
今はちょっと違っていて、見つけたから、どう生かしていこうか、
面白くしようか、と考えてしまうのです。
無価値感を悪者にしない、これってすごく使えるよねと。
同じような人いるだろうし、無価値感あって最高じゃないか!
ちなみに、原因を探ると父の記憶が
あった、何かをやろうとすると、
「あ〜あ、そんなんじゃだめだ!」
「貸してみろ」(父がやってしまう)
父にとっては失敗しないようにだったのだろう。
愛情?
しかし、私は、自分はダメでできない人間だと信じ込みが強まって行った。
そんなことが何回も繰り返されて
自分はできないし、価値がないまで発展したように
思える。
「失敗しても自分でやるから、黙ってろ!」
そう言えば、違う前提になったはず。
今気づいたので、今からやっていこうと思うのでした。
無価値感を認めるために書く。
パートナーの指摘で無価値感で生きていることに気づかされました。
無価値な自分だから、もっと学ばないといけない。
結果を出して認められないと、稼がないと価値がない。
そう思っているようです。
無価値感について
「何もなくても価値がある」
そう思えるようにり、そんな価値ある状態から学ぶことができたら
終わりのない情報とノウハウ集めが終わりを告げると思うようになりました。
しばらく、内容は無価値感について書いていこうと思います。